磐上教会

5月 3日 聖書メッセージ

▼ヨハネによる福音書 15章 1−11節▼

 

主イエスは人間の罪を引き受けて自分自身を犠牲とし、復活して、神が創造する新しい人類の初穂となられました。
私たちを救いの命にあずかる者となるように 「 ぶどうの木 」 であるご自分につながらせ、豊かな実を結ばせる「 枝 」として下さいます。

 

主イエスという幹につながるぶどうの枝( もしくは、つる )である者には愛という実を結ぶ使命があります。
主イエスに「 つながっていながら 」( 2節 )とあるのは、直訳では「 わたしの内にありながら 」の意です。
キリストの内にあっても「 実を結ばない枝 」を父なる神は取り除き、「 実を結ぶものはみな、いよいよ豊かに実を結ぶように手入れをなさる。 」( 2節 )

 

枝はただ手入れされるだけでなく主イエスという幹にしっかり 「つながって 」いるように勧められます( 5節 )。
「 つながる 」とは「 変わらず保ち続ける 」ことを意味し、
距離の近さよりも持続する心のあり方を表すので、9節で「 わたしの愛にとどまりなさい。 」と勧められます。
それは神の忍耐する愛、罪人を赦す愛を自分の従うべきとすることです( 10節 )。

 

主イエスはご自分に背いて逃げ出した弟子たちに怒らず罪人の代わりに罪を自分に引き受けて死なれました。
私たちはこのを自分に受け、喜びに満たされます( 11節 )。
自分が希望を失いそうになるとしても、他の枝と共に主の愛にとどまり、愛の掟に従うように導かれます。